JR加茂駅東口広場に平成19年10月、8620型蒸気機関車の動輪一対と鉄道記念碑が設置されました。 |
 |

加茂駅の西側にあるレンガ造りの建物。明治30年(1897)10月に完成した加茂駅開業当時からの建物です。オランダ積みの赤レンガ造りで切妻屋根の倉庫としては珍しく、機関車の前照灯や客室の照明用に使用されていたランプの石油類の給油、保管に使用されていました。 |
 |

昭和47年に大仏線の軌道跡を通り、この場所に移動されてきました。その姿から「走る貴婦人」と呼ばれています。
わたしのなまえはC57 56です
わたしは1937(昭和12)年生まれ。石炭をもやして蒸気をつくり、その力ではしる蒸気機関車です。「C57」のなかまはほかに200輌。日本のあちこちではたらきました。わたしの自慢は、スピードのはやさとスタイルのよさ。急行列車をひいて、はやく走るために、大きな車輪をつけてもらったら、スタイルもよくなりました。だから、わたしのニックネームは「貴婦人」。上品な女の人のようなかんじがするのだそうです。このあだ名も自慢のひとつです。
わたしのはたらいていたのは、すぐよこを通っている関西本線。急行列車や特別列車をひいて走ったこともあります。あたらしい電車を見ると、また走りたくなるけれど、ここでのんびりとみんなを見まもっていることにしましょう。大切にしてくれたらうれしいなぁ、と思います。
昭和47年6月15日保存 加茂町・加茂駅 (案内板より)
|
 |

大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていました。
|
 |

JR線路が低くなっています。すぐ横をJR大和路線が走り危険なため今は柵が設けられています。 |

『鉄道廃線跡を歩くII』(宮脇俊三著・JTB刊)の表紙に採用されたこの橋台は、石積みの力強さ、形の素晴らしさが一目でわかります。レールを敷けば、すぐに列車が走れるようです。(案内版より)
|
 |

旧鹿背山トンネルを走っていた関西本線旧線路跡を横切る橋の橋脚部分には【CAMMELL・S. TOUGHENED STEEL 1889】と刻印されたレールが使用されています。これはイギリスの製鉄会社キャンメル社製の輸入レールで、大仏線の廃線レールを利用されて造られたものです。日本ではまだ製鉄所がなかった時代なのです。 |

大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。
壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み坑門はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。保存状態は極めて良く、大仏鉄道の代表的遺構の一つです。 |
 |

御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式です。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通っています。
※訂正とお詫び:煉瓦の積み方を「フランス式」と表記していましたが、赤橋は縦方向に積む段と横方向に積む段が交互となる「イギリス式」ですので修正いたしました。ご迷惑をおかけいたしました。 |
 |
 
交差点辺りが築堤で井関川トンネルがあったそうですが、今は開発によってその姿を見ることができません。交差点から南北に延びる道が大仏鉄道の軌道跡です。 |

交差点下の畑地へ下ると松谷川トンネルの遺構が残っています。
松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。 |
 |

農業用水路の目的で造られた隧道で、今も水路として使われています。細いトンネルですが、とてもきれいな石組みでできています。
鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
|
 |

明治41年大仏鉄道が廃止されたその後も残っていましたが,昭和39年の道路拡張に伴い、山を切り開きトンネルは取り壊されました。トンネル入口にあった関西鉄道の社章は大阪の交通科学博物館(平成26年4月6日閉館)に保存されています。 |
 |

法蓮地区の住宅街の中に鴻ノ池橋台の基礎跡が有ります。排水構の蓋を開けると橋台の基礎部が残っています。 |

大仏駅跡を記念する公園「大佛鐵道記念公園」です。機関車の動輪モニュメントと説明碑があります。
【関西鉄道大仏駅について】
明治28年、草津・名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植(つげ)から大阪方面への進出を計り、2年後の30年11月に加茂まで開通した。ここから梅谷を経由して黒髪山トンネルを下り31年4月、この地の北側法蓬の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。この鉄道は市民、観光客にも親しまれ大仏詣での人たちもこの駅で下車し、一条通りを通って東大寺に参拝していた。奈良駅にはその年の12月到達したが乗り入れが実現したのは翌32年5月であった。その後線路が木津経由に変更となり明治40年8月までの約9年間で廃止された。昭和39年頃まではトンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影は今は見られない。
平成4年4月 奈良市(モニュメント横の碑文より) |
 |

船橋商店街内、佐保川に架かる下長慶橋の川底より平成19年(2007)大仏鉄道鉄橋跡の煉瓦橋脚の基底部が発見されました。 |