今から1300年の昔、平城遷都が決定し、都近郊には様々な工房が設けられました。平城宮の宮殿や役所に葺かれた瓦は、数百万枚ともいわれています。 京都と奈良の境にある奈良山丘陵は瓦に必要な粘土や燃料に恵まれており、瓦の一大拠点となりました。木津川市では音如ヶ谷瓦窯跡、鹿背山瓦窯跡、市坂瓦窯跡、梅谷瓦窯跡の4ヶ所の瓦窯跡が、歌姫瓦窯跡(奈良市)を含め、総面積約3万8千m2の「奈良山瓦窯跡」として国の史跡に指定されています。 これらの瓦窯跡はいずれも住宅街にあり、公園として保存されるなど整備が進んでいます。
音如ヶ谷遺跡公園として2基の瓦窯跡レプリカ(原寸大)が設置され、公園整備されています。1979年の発掘調査によって4基の瓦窯跡と数棟の堀立柱建物が発見されました。 瓦の文様から「法華寺」の創建瓦を焼いた窯であることが判りました。